あしげ日記:2021-3-15

あしげ日記

今朝も論文の手直しです。

従来の傷の大きな母趾種子骨切除術に代わって、関節鏡による小さな傷口の手術を筆者がするに至った理由のあいまいさを指摘されて、その部分の手直しをしています。

関節鏡を始めたのは、当然、より低侵襲のほうがいいからです。今までの足裏とか足の内側とかに10㎝近い傷を作る手術よりも、5mm大の傷口が3つで同じ手術ができたら、そちらのほうがいいに決まっているじゃないですか。しかし、欧米人に言わせると、「なぜ大きな傷口よりも小さな傷口のほうがいいんだ?」と質問してくるのです。

どうも英語ネイティブが指摘してくる論理展開には、1つ2つ余計に文を挟み込まなければならない感じがあります。日本人ならば「大きな傷」→「小さな傷のほうがいい」とするところを、英語ネイティブは、「大きな傷」→「早期に荷重すれば傷が開く可能性がある」→「小さな傷だと早期に荷重しても傷が開く可能性は少ない」→「だから小さな傷のほうがよい可能性がある」としなければなりません。日本人同士でそんなまどろっこしい話し方をしたら、「ばかじゃねーの」と、頭の回転の悪さをバカにされるところですが、英語論文では、日本人的な論理の積み上げ方をすると、それは飛躍だと指摘してくるのです。まぁあちらも論理を飛ばす日本人の論文を見てバカだと思っているでしょうが(笑)

しかし、両者の論理展開には、どちらもいい点悪い点あるでしょう。日本人的な論理の組み立ては、ある種の直感を含んでいるので、論理と直観で一足飛びに結論に至れるスピード感がありますが、一方で、ときに飛躍が問題にあることがあります。一方、英語ネイティブの論理は、もれなくがっちりとしているので、学問のように少しずつ積み上げて体系化したり、コンピューターを作ったりするのに適していますが、あまりに堅実に論理を組み立てすぎるので、コロナのような差し迫った危機が来ても、マスクの有用性について立証されなければつけないような要領の悪さもあります。

まぁ日本人に欠けている思考の練習にはなるのでよいことなのですが、すでに結論に達しているのに、その手前の手直しをしなければならないという「先に進んでいない感」に不毛さを感じてしまいます。

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