あしげ日記:2021-4-13

あしげ日記

今朝も「母趾種子骨障害に対する関節鏡下種子骨切除術」の査読に対する返答をやっています。

残る2つの査読者のコメントのうちの1つに取り組んでいます。そのコメントは、「関節鏡のテクニックはすばらしいのだから、論文をテクニック中心に全面的に書き換えたらどうか、関節鏡手術も観血的手術も最終的な治療成績は変わらない、という結果は、術者にとってはがっかりだ」というものでした。

かなりのむちゃ振りです。すなわち、「あまり治療成績は大声で言わないほうがいいんじゃない?」ということで、自分の論文のいい点をもっと強調したほうがいいのでは、ということでした。

たしかに、読み手には奇異に映ると思います。種子骨切除術の関節鏡テクニックを詳細に記述した論文は過去にはなく、それをオレはこんなにうまくできるぞ、と声高に叫んでもいいはずなのに、そんなテクニックも「既存の治療法と最終的な治療成績は変わらない」などと言ってしまっては、「なんと欲のない」と思われても仕方ないと思います。以前提出した雑誌Arthroscopyでも、”no frill (飾り気のない)”と評した査読者もいました。

実は、これは自分の中ですでに解答を持っているからなんですね。関節鏡手術で早期復帰はかなうものの、それでも種子骨を取ってしまうことで少し違和感が残ってしまう、だからこそもっといい方法はないか、ということで至ったのが、「関節鏡下自家骨移植術」で、そちらの方が治療成績が良いのはわかっているので、どうしても「関節鏡下種子骨切除術」のほうはネガティブな要素を正直に言いたくなってしまうわけです。

論文そのもののメリットを強調するのも一案ですが、母趾種子骨障害に対する治療法の歴史的な変遷の観点から見れば、やはりこの論文では「種子骨切除術」自体の問題点をしっかり指摘しておいた方がいいと思います。その方が、「関節鏡下種子骨切除術」からの「関節鏡下自家骨移植術」への流れがスムーズであり、歴史的に価値ある論文になると考えています。

査読者に対して説得力ある回答を考えます。

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