書かずには死ねない!医学論文生活【2021年1月】

論文日記

ようやく書く気になってきた

たまっていた論文

気がつくと、以前から書こうと思いながらも先延ばしにしていた論文が、17本もたまっていました(2021年1月)。いつも書こう書こうとは思いながらも、日常の仕事に紛れ暮らし、たまった論文のことを考えては心を痛めていましたが、ここ最近になってようやく書く気になってきました。

きっかけは徒然草

書く気になったきっかけは、意外にも「徒然草」です。

ちょっとしたことがきっかけで、最近になって徒然草の現代語訳を通読しましたが、その中(第188段)に、「若いうちはあれもこれもと立派な計画を建てるものだが、日々の忙しさに紛れ暮らし、気が付くと大した業績もあげず、いつの間にか年を取ってしまう。だから一生のうちで、自分にとっての優先順位をよく考え、一番重要なことを決定し、他は断念して、その重要なことを速やかに行うべきだ。あれもこれもと思っていたら、一つのことすら達成できない。」というような内容が書かれてあり、これはかなり衝撃を受けました。

改めて、自分が今やるべき最も重要なことは何かと考えたとき、「自分の考案した良好な治療成績の手術法を、世に広く公表することだ」という思いに至り、やっと論文を書く気になってきました。

生活の見直し

環境整備

通常業務の中でも、今日は手術が1件しかない、とか、今日は外来の患者さんが少なかったなど、隙間の時間が生まれることがあります。その時間を有効に活用するため、いつでもぱっと論文に取り掛かれるための環境整備をしようと思い、かなりの手入れを行いました。

いつでも論文に必要な画像が撮影できるよう携帯を買い替え、パソコンを持ち運べるようこちらも買い替え、今までパソコンの中に眠っていた書きかけの論文や画像などはすべてクラウドにあげ、どこでもパソコンでネットが使えるよう携帯のテザリング機能を有効にするなど、環境をすべて論文仕様に整備しなおしました。もうあとは書くだけです。

早起き

日中は手術やら外来やらがあり、それらが終わるとぐったりと疲れてしまいます。夕方や夜に時間がないわけではありませんが、疲れて頭が働きません。そこで朝早く起きて論文を書くよう生活も切り替えました。

朝3時から4時頃、まだ暗いうちに目が覚めます。ベッドを抜け出してリビングに向かい、暖房をつけ、パソコンを開きます。インターネットを開くと、OneDrive内の論文原稿やExcelデータファイルなど、昨日やっていた作業環境がそのまま開きます。査読者に指摘された内容を手直ししたり、データを改めて見直したり、画像を整理したりしているうちに、段々と外が明るくなってきます。朝7時を迎えると、病院に行く支度を始めます。

論文はやることがたくさん

それにしても論文はたくさんやることがあります。本文を書くのは当然として、データの収集と整理、画像の選定、画像の説明、画像をわかりやすくするための加工、表・グラフの作成、英語への翻訳、手直し、統計処理、過去の論文の参照・まとめ、カバーレター、雑誌社への提出、査読に対する対処など、細かい工程がたくさんあります。これらの大量の作業をこなすためには、ただひたすらに空き時間を投入してやり続けなければなりません。

書く意味

ここまでして論文を書く意味はあるのでしょうか。これにはいくつか理由を思いつきます。

指摘される機会

医者としての経験年数を重ねるにつれ、先輩が周りから少なくなっていき、自分の治療に関して、誰からも指摘を受けない環境になってきます。すると、知らぬ間に自分のやっている治療が絶対かのように錯覚しがちになります。

それに対し、論文は匿名で査読されるため、査読者がおかしいと思えば躊躇なく指摘されます。周りの人から何も言われなくなったのちは、論文だけが自分の足りないところを指摘してくれる場となります。

勉強のきっかけ

論文を書くためには、たくさんの勉強をしなければなりません。過去の文献を網羅的に参照する、教科書も読み直すといった足の外科の勉強から、データ解析のための統計を勉強する、英語表現の勉強をする、フォトショップやイラストレーターなどのコンピューターソフトの使い方を勉強する、など、多岐にわたって勉強しなければなりません。これらの勉強は、医学知識の定期的なアップデート、英語による論理的思考の訓練、患者さんの症状を客観的にとらえるための統計的な視点の獲得、患者さんにわかりやすい説明を提示するためのビジュアル的技法の向上、などに役立ちます。

治療の見直し

論文の形で客観的に自分の治療を見直すことにより、よいと思いこんでやっている自分の治療が本当に質の良いものかどうか、見直すことができます。

貢献

そして、もっとも大きな理由が「貢献」です。筆者の考案した術式は低侵襲で、もし自分がその疾患になったら受けたいと思えるような術式です。ところが、まだ広く認知されていないため、一般的には侵襲のより大きな術式が行われています。

まずは、自分の考案した手術法の中で、「これはいい」と自信を持って言える、アキレス腱付着部症の内視鏡手術、母趾種子骨障害の関節鏡下自家骨移植術、外反母趾手術、強剛母趾の骨切り術、足底腱膜炎の内視鏡下骨棘切除術、などは、なるべく早く論文にしたいですね。発表後、筆者の論文を読んだどこか知らない異国の病院の医師が「この方法はよさそうだからやってみようか」などと話し合っている光景を夢見ています。

「あとは死ぬだけ」を目指して

最近読んだ本に、中村うさぎさんの「あとは死ぬだけ」という本があります。軽い気持ちで入った文筆業から始まり、その時々で真剣に選択した結果にもかかわらず周りの人から見ると奇異に映る行動の数々、そして人生を大きく転換させる仕事上のトラブルと臨死体験を経て、歩んできた文筆業に改めて人生の意義を見出すに至った内省的考察を、圧倒的な筆力で精緻に描いています。最後に、ご自身の人生を総括して「満足」と評したうさぎさんは、「あとは死ぬだけ」と言い切ります。

そう言える中村うさぎさんを筆者はうらやましく思います。筆者も「書かずには死ねない」と思っている論文を書き切り、「あとは死ぬだけ」と言えるようになりたいと思っています。

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