Google口コミから学ぶ医者事情・良好な医師患者関係の作り方

その他記事

はじめに

病院に対するGoogle口コミの低評価の中には医師に対する不満が書かれているものがあります。その中にはこちらが反省する点に気付かされることがある一方で、これは単に患者さんが医者事情を知らないだけだといったものから、そんな受診の仕方をしていたら結果的にその患者さんの不利益になるだろうと思わせるものまであります。そこで、ここでは私に対するGoogle口コミの低評価を見ながら、患者さんの知らない医者事情や、良好な医師‐患者関係を築くために知っておいた方がよいと思ったことなどを書いていきたいと思います。

口コミとコメント

足外科を受診しました。治療には保存療法か骨の切除しかないと言われましたが、複数の病院での診断と真逆の診断だった上、会社に提出する通院用の診断書を依頼したところ「みんな痛くても頑張って働いているのだから、働けないのはあなたの性格の問題です」と人間性を否定され悲しかったです。(休業ではなく通院だとお伝えしましたが、理解していただけませんでした)

診て欲しい箇所についても、何度説明し直しても理解していただけなかったため手術は見送りましたが、あとから手術で失敗した方の口コミを拝読し、焦りは禁物だと改めて思いました。
他院の医師にも「もし、そのような真逆の手術をしていたら歩けなくなるところだった」と言われ、肝が冷えました。

【診断が真逆】診断が真逆だったとのことですが、この患者さんは足底腱膜炎と母趾種子骨障害を合併しており、はじめは足底腱膜炎を発症しましたがそのうち母趾種子骨の痛みが強くなったとのことで遠方から受診されました。確かに今は母趾種子骨の痛みが強いようですが、その根底には、ハイアーチに基づく足底腱膜のテンションの高さが関係した足底腱膜炎の発症と、ハイアーチゆえの母趾種子骨への圧の強さが一元的に説明できるため、内視鏡による足底腱膜切離もしくは、母趾球への圧を落とすための骨切り術をお勧めさせていただきました。おそらく他の医師は、ある意味当然ですが、今ある症状の母趾種子骨の痛みに対する治療法をメインに提案したと思われますので、足底腱膜切離を勧めた当院は、その患者さんにとっては”逆の診断”と感じたのだと思います。これは併存する病態の因果関係のとらえかたによるところで、患者さんの受け止め方によっては仕方のないところですね。

【ドクターショッピング・休業補償の請求】問題はこの点です。この患者さんは、今まで複数の病院にかかっていたとのことですが、「今までにかかった病院の通院のために会社を休んだ分の、休業を補償する診断書を書いてくれ」との申し出がありました。まず第一に、医師にとって「複数の病院を渡り歩いていた」という点が引っ掛かります。これは医師の間では「ドクターショッピング」と言われ、良好な医師患者関係を構築しにくいタイプの典型と考えられています。本来であれば1つか2つの病院をかかれば事は済むはずなのに、ここが6つ目の病院ともなると、患者さん自身に何かしら他の患者さんとは違う特別な事情などを抱えているのではないかと医師は警戒します。そう警戒したところでいきなりお金の話をされると、ますます医師は警戒します。それは「疾病利得」と言って、疾病であることを理由に頻繁に仕事を休んだり、保険金を受け取ろうとする患者さんが中にはいらっしゃるからです。ここでのポイントは「初診であること」です。複数の病院にかかっていた複雑な経緯や患者さんの疾患の状態もまだ十分に把握していない状態で、患者さんのただ”痛い”という愁訴だけを根拠に、休業を補償することはできません。

【慢性疾患の休業補償】「休業補償」は他人がお金を払う話です。お金を払う側にしてみれば、お金を払うのに十分な理由がなければお金を払いたくないわけで、疾患を理由に休むのであれば、その十分な証拠を求めるのは当然です。しかし初診時には患者さんがただ「痛い」と訴えているだけで、CTやMRIなど客観的な証拠は何もありません。痛みを客観的に計測する検査機器はありませんので、ただ「痛い」と訴えるだけでは、お金を払う他者が納得できる十分な証拠とはならないわけです。
さらに、急性期の怪我であれば、誰しもそれによって就労が難しくなるのはわかるし、治ればまた就労可能になるのもわかるのですが、慢性疾患の場合、いつ直るともわからず、どのくらい就労が困難なのかを測る指標もないとなると、そんな状態の患者さんの休業補償をいきなり認めてよいのか、ということが問題となります。もしそれで休業補償を受けられるのであれば、多くの慢性疾患を抱えた方が病院に押し寄せて診断書を求めることでしょう。そこでその患者さんには、「慢性疾患で痛みを抱えていながらも働いている方はいくらでもいる。初めてお会いして、複雑な通院歴や現在の状態も十分に把握しないまま、ただ「痛い」という自覚症状を聞いただけでは休業補償の診断書は出せない」と説明しました。口コミにあるような「性格の問題」などという言葉は決して使っていませんが(使うわけないでしょう)、仕事を休んでいることはご自身の性格に問題があるからだとご本人が思っていらっしゃるからなのか、こちらの説明をそのように曲解されたようです。患者さんからしてみれば「こんなに痛いのに休業補償をしてくれないなんて!」と思うのでしょうが、ご本人が痛いと感じているのと、他人がそれを痛いと認めるのは別の話であることを認識しておく必要があります。

【他の医師の治療に対するコメント】「真逆の手術をしたら歩けなくなる…」これはおそらく足底腱膜切離を行うことに対する他の病院の先生の意見と思われます。本当にこのようなニュアンスでおっしゃったかどうかは、この口コミを書いた方のフィルターを通しているので何とも言えませんが、もしその通りだとすると、ちょっと問題のある返答ですね。足底腱膜切離自体行ったことのある医師は日本全国でごくわずかしかいませんので、その先生はおそらくやったことがないと思われます。それなら、やったこともない術式に対して憶測で「歩けなくなる」などといい加減なことは言わず、「わかりません」と言うべきです。
足底腱膜切離術は保険でも認められているちゃんとした術式です。また、一部の医師が足底腱膜を切ることに懸念しているのとは裏腹に、足底腱膜切離術をしても結局最終的には足底腱膜はつながってしまいます(歩けなくなるような後遺症を残すことはできません)。骨によるアーチを支えているのが足底腱膜ですので、その関係は弓と弦に例えられます。足底腱膜をいったん切ることにより、骨によるハイアーチを緩め、その後足底腱膜が治ることにより、アーチを緩める効果があります。この効果を狙った足底腱膜切離術は当院でも過去に行っています。
私のところでも他の治療法についてどう思うかを聞かれることがあります(特にアキレス腱付着部症や足底腱膜炎に対する「動注療法」など)。そのときは「うちではやっていませんのでわかりません」と答えるようにしています。また、過去に受けた手術について意見を求められることもあります。それに関しても、「そのときはそのときの判断に基づいてその先生が最善と思われる選択をされているはずですので、それを他の医者が結果を見てからあれこれ言うのはマナー違反です」と説明しています。「後医は名医」ということわざ通り、前医の治療結果や前医に対する患者さんの反応を見てからあれこれ言うのは簡単であることを、後の医者は認識しておく必要があります。

【ふたたびドクターショッピングについて】ドクターショッピングをする方にはいくつかのパターンがあります。
1.患者さんの中ですでに答えが決まっているパターン
患者さんの中ですでに医師に対してこういう回答をしてほしいと決まっている場合、その意図にそぐわない回答をした医師は「わかってくれない」となり、ご自身の用意した答えと同じことを言ってくれると「わかってくれる」となるパターンです。このような患者さんは、自分の意見と同じ意見を言ってくれる医師を求めて、多くの病院を渡り歩きます。こちらもそのような患者さんと話しているうちにその患者さんがどのような答えを求めているのかうっすらとわかってきますが、患者さんの用意した答えに合わせてもさほど問題となる場合は合わせることはあるも、患者さんの用意した答えに合わせると問題のある場合は、その提案には乗れないとお断りし、そのまま他の病院に移られていくのをお見送りすることがあります。
2.患者さん自身が判断基準を持たないパターン
患者さん自身が医師の言ったことに対して判断を下せないパターンです。このような患者さんは結局自分では決められないので、前医の意見のお墨付きをもらうため、次の医師を受診をして意見を求めます。このようにしていくつもの病院にかかり、新たに出てきたいくつかの意見に混乱して、ますます自分で決めるのが困難となります。
3.ご自身の知性に絶対的な自信を持っているパターン
これは1と似ていますが、ご自身の知性に絶対的な自信を持っており、綿密にインターネットなどを検索し、ご自身のあたまで診断と治療法を確立します。「このように手術してくれ」と具体的に指示してくることもあります。確かにその手術が理にかなっていることもありますが、到底受け入れがたいと思う場合はお断りしています。すると、その患者さんは、ご自身の知性や判断に絶対的な自信を持っていますので、ご自身の意見に賛同する医師を求めて、次の病院に受診することになります。
インターネットに氾濫する医療知識の最大の欠点は「いいことばかり書いてある」点です。手術にはいい点悪い点があり、医師はそのリスクとベネフィットを評価したうえでどのような手術をするかどうかを決定します。ところがインターネット上の知識をよく学習してご自身の意見を確立した患者さんは、手術に伴うリスクに関する知識を十分に得ることができないまま「いい話」ばかりを集めて意見を確立していますので、こちらから見ると手術に伴う悪い話がまったく考慮されていない、よく言えば”理想的な”、わるく言えば”無謀な”手術法を提案してくることとなります。
4.問題行動によって病院から出禁とされるパターン
暴言、トラブル、未払いなどによって出禁となり、病院を転々とするパターンです。これは言わずもがなでしょう。看護師さんと話すときに急にぞんざいな言葉遣いになる方はその予備軍と思われていますのでご注意ください。

【セカンドオピニオンの弊害と対策】昔はパターナリズムと言って「患者さんより専門知識や経験の多い医師が言うのだから、患者さんは黙ってそれに従っておくのがよい」と考えるのが主流でしたが、ここ20年ほどでInformed Consentという「医師から十分な情報を得たうえで、患者さんが判断する」という考えに変わってきています。ただ、医師が経験してきたことすべてを言語化することはできないし、その説明を聞いたからと言って、患者さんはすぐさま医師と同じ知識や経験を共有できるわけでもないので、患者さんが判断するといっても、医師の判断が大きく影響するのが現状です。その中で「セカンドオピニオン」はたった一人の医師の判断というバイアスを少なくする利点がある一方で、結局のところ専門家ではない患者さんは、多くの医師の意見を聞いてもただ混乱するだけのことも多く、また「自分の意見に沿ったことを言う医師こそ信頼に足る医師だ」と、本来のセカンドオピニオンの意義とはかけ離れた形で多くの病院を受診し、その結果医師からは”ドクターショッピング”と言われて注意人物扱いされるような弊害も起きています。なかなか根が深い問題ですが、まずは「一度限りの受診で判断しない」とか「あちこち行く前に、まずは目の前の医師との信頼関係を構築する」といったことが、こうした問題で患者さん自身が不利益を被る可能性を低くするポイントかと思われます。

【手術で失敗した方の口コミ…】上の口コミ内の「手術で失敗した方の口コミ」とは、以下の口コミのことを指していると思われます。これもまた興味深いテーマですので、詳しく見ていきたいと思います。

整形外科の足専門は手術の件数は沢山あり紹介状もなくても観てくれると言う事で観て頂きました。
足底筋膜炎で骨棘除去手術しましたが明らかに術後痛みがあり聞いていたのと違う感じで異変を伝えましたが検査もしてくれずなじんでくるからっと・・術後の説明もほとんど無かった。6ヶ月以上経ちますが良くなってません。早く仕事に復帰出来ると聞いていたのに・・明らかに術後から違う所から痛くなってとても残念で悔しいです。
足科の先生は手術を沢山して事例を増やしたいと言う感じが自分はしました。

【個人差の範囲内での術後経過】この方がどなたかを確認するため、今年手術を受け6か月以上経過した方のカルテをすべて見直しましたが、ひとりこの方かと思われる方を見つけたものの、結局どなたかわかりませんでした。そのことから考えて、あまり頻繁には受診されていない方かと推測します。
他の方から見るとこの口コミは「手術失敗」のように見えるのでしょうが、実は私の中では失敗とは少しも考えておりません。それは、「術後なかなかよくならない」ことに関して、患者さんと医師の見解には大きな相違があることに因ります。患者さんはご自身の術後の経験しかないために、なかなか良くならないのは特別に何かおかしなことが起きているのではないか、または手術が失敗したのではないか、などと思ってしまいます。一方、医師側は、その手術を何百人とやっているため、術後経過にはばらつきがあることを知っています。その術後経過のばらつきの範囲内にその患者さんの状態があると判断すれば、まだまだ痛みが強いことはわかっているけれども、基本異常なことが起こっているとは思わず、そのまま経過観察となります。上の口コミの中に「検査もしてくれず」とありますが、患者さんの痛みが過去の症例の中にもあったような、特別な異常を想起させない痛みであれば、検査をする必要もありません(患者さんを安心させるために、必要性の低い検査をすることもないわけではありませんが、なるべく不要な経済的負担はかけないように配慮しています)。どの手術でもそうですが、まずは1年、あせらずに経過を見たほうがよいと思われます。

【おかしいと思ったら主張する・何度も受診する】口コミを書いた方に該当しそうな患者さんのカルテを見ても、よくならないことへの不満の記載が発見できなかったことからすると、この方はよくならないことを控えめに訴えたにもかかわらず、私がその痛みが術後経過の個人差の範囲内だからということでスルーしてしまったのだと思います。その点は申し訳ないと思いますが、限られた時間で大量の患者さんを診る中では、とくに問題はないと思われる患者さんはそれだけ短い診察になってしまいますので、おかしいと思ったらしっかりと主張されるのがよいと思います。「なんで検査してくれないのですか」と訴えても構いません。また、ご自身の状態に納得いかなかったら、受診の期間も長く開けず、頻繁に受診し、何度も主張して、医師に印象付けるのがよいと思います。たまに受診してご自身の痛みや疑問も十分に医師に伝えることができず、受けたいと思った検査も受けられず、その不満をインターネットに書き込んだところで何も好転しません。ご本人にとって最も得することは、医師にしっかりと主張することだと思います。頻繁に顔を合わせ、伝えるべきことはお互いにしっかりと伝え、隔壁のない良好な信頼関係を築くことが予後にもよい影響を及ぼすと考えています。

【手術を沢山したい…】患者さんはこのようなことも考えるのですね。若い頃ならまだしも、50代半ばにもなってたくさん手術したいと思うわけないではないですか(「若々しい」との誉め言葉として受け取らせていただきます)。技術的に上達の余地のある手術ではさらに症例を重ねたいと思うことがないわけではありませんが(そう思うこと自体は外科医としての向上心の観点からは自然なことだと思います)、足底腱膜炎のように何百例も手術し、技術的にもこれ以上改善は見込めない手術に関しては、申し訳ないですが単なる事務作業です。ひとりの患者さんの手術が決まれば、手術申し込み、入院申し込み、術前検査、承諾書、他院への診療情報提供書依頼の手紙、入院書類作成、入院時指示、点滴指示など、膨大な事務作業が降りかかってきます。手術一件につきいくらといったインセンティブがあるならまだしも、年俸制ですのでそれもありません。それでも「たくさん手術したい」と思いますか。
手術をしたがっているという印象は、もしかすると私の外来の特性に基づくものかもしれません。私のところに来られる患者さんは、地域の病院で保存的治療を受けたにもかかわらずよくならない方や、他の専門病院では手術できないと言われて、インターネットで調べて当院を発見して受診した方など、基本的に他の手は尽くしたがよくならないので来た、という方が多くを占めています。そのため、どうしても話が”最終手段”としての手術の方向に進んでしまいがちで、そのことを一部の患者さんは「手術をしたがっている」と感じるのかもしれません。
しかしここで考えたいのが、「ただ手術をしたい」というだけで手術の適応を決めるのか、という話です。手術にはリスクとベネフィットがあり、それを冷静に判断して手術を決定します。それをただ「手術をしたい」というだけで、本来なら手術の適応ではない患者さんの手術をすれば、手術適応ではないだけに当然手術成績も悪く、その患者さんと会うたびに気まずい空気が流れてしまいます。そんなお互い嫌な思いをすることが容易に想像つくことを「手術したい」などという軽薄な欲求でわざわざするわけはありません。