査読とは
多くのジャーナルが論文の審査にpeer review(同僚によるレビュー)という方針を取っており、投稿されてきた論文に対して、選ばれた研究者が改善すべき点などコメントをするようにします。エディターはそのコメントを見た上で、著者に対して修正を促します。そのようにして論文の質を高めた上で、一定の基準をクリアできた論文は世に公表されます。
この一連のプロセスにおいて、投稿論文の審査かつ助言の役割が”査読”と呼ばれています。
査読はボランティア
査読は基本ボランティアです。出版社は論文を出版することによってお金を稼いでいるのですから、そのプロセスにおいて重要な役割を担っている査読者は賃金を受け取る権利があってしかるべきだと考えますが、多くのジャーナルでは慣習的にそうはなっていません。これは今後改善されるべき問題だと思いますが、まぁそこは目をつぶりましょう。
論文を書いているとそのうちジャーナルから査読依頼のメールが届くようになり、それに応じると査読者になります。
「査読を引き受けていいの?」
まじめな人は、初めて査読依頼が来た時「自分ごときが人の論文などを評価してよいものか」などと考えますが、そんな心配はご無用です。
“peer review”の字の通り、査読は”同僚の意見”です。同僚には優秀な人もいればそうでない人もいるように、査読者の中にも優秀な人もいればそうでない人もいます。査読者のコメントに対する最終的な責任はエディターが持つだけですので、査読者は、”同僚” のごとく、その論文を読んでおかしいと思ったことを忌憚なく意見すればいいだけです。
ただし人格否定はご法度です。
査読をするといいこと
新しいアイディアに触れられることはもちろん、その論文内には必ず過去の論文を引用していますので、そのテーマに関するそれまで文献的知識をアップデートすることができます。
また、選り好みをせず査読を引き受けることで、臨床的経験の薄いテーマや興味の薄いテーマなどにも触れる機会を持つこと出来、知識の偏りが改善されます。
さらに、人の論文を読むことで、「先行文献から研究の目的への誘導が不自然」「方法の記述が不十分で再現性に欠ける」「結果の記述がダラダラしている」「ディスカッションが自分たちの研究結果そっちのけで人の論文のことばかり書いている」「結論がいいすぎ」など、典型的なピットフォールを学ぶことができます。
皆査読を引き受けたがらない
エディターをやっていると、査読を依頼された研究者がどの程度引き受けているのかを見ることができますが、まぁ惨憺たるものですね。一度も査読を引き受けたことの研究者がほとんどです。
まだほとんど論文を書いたことのない研究者が査読を引き受けるのに躊躇するのは理解できますが、自分では結構な数の論文の筆頭もしくは共著者になっているのに、一度も査読を引き受けたことがない人も少なくないことには驚きです。
give and take の精神
「時間がない」「やっても金にならない」「ただ大変なだけ」…いろいろ断る理由は想像できますが、自分は査読をやってもらっているのに、自分では査読を引き受けない、という点に関してはどのように言い訳するのでしょうか。
誰かからいい査読コメントをもらってそれで自分の論文が改善したのだったら、その恩は別の著者に返すべきです。
時間は作るもの
忙しいと言って断る人がいます。そんなの医者だったら誰でも忙しいでしょう。時間は作るものです。
査読を引き受けよう
査読は確かに大変だし、時間も取られるし、ボランティアですが、いいこともたくさんあります。経験が浅かろうが何だろうが、まずは「ハイ喜んで」と言って引き受けましょう。

