エディターというお仕事

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はじめに

去年の末、BMC Musculoskeletal Disordersというジャーナルからエディターになりませんかというお誘いがあり、これも経験と思い、引き受けることとしました。このジャーナルは整形外科国際ジャーナルのうちの上位25パーセンタイル付近 (Q2のトップ (SCImago journal ranking 2025))に位置する、比較的 “よい” ジャーナルです(のちにBMC Sports Science, Medicine and Rehabilitation (Q1)からも同様のお誘いがあり、こちらも引き受けました)。

引き受けてみたものの、異常に大変ですね。ここでは、エディターというお仕事(お仕事とはいえ無給ですが)について書いてみたいと思います。

エディターの業務

ジャーナルに投稿論文が投稿されてくると、ジャーナルはその内容に合ったエディターを選び、担当にならないかメールを送ってきます。その論文のアブストラクトを読んで、引き受けられそうであればOKの返事を送り、担当となります。

次に本文を一通り読んで、致命的な問題がなければ査読候補者を選び、査読依頼のメールを送ります(査読者選びやメール送信はジャーナルが用意したソフトを使用できるので、それほど苦労はありません)。論文一つにつき25‐40人に査読の依頼をし、そのうちの3-6人が査読を引き受けてくれ、2-4人が査読コメント返してくれます。

1週ほど後に査読者からのコメントが返ってきたら、そのコメントを評価した上で、著者にアクセプト(受諾)/リビジョン(修正)/リジェクト(却下)のメールを送ります。たいていはリビジョンで、査読者のコメントも含めてどのように論文を修正すればよいか、著者にアウトラインを示します。

著者からリビジョンが送られてきたら、その修正原稿を読み、さらなる修正がないかどうか探します。

エディターによっては、ここで再度同じ査読者にメールを送り、この修正でよいか確認しますが、一度指摘されたことが正しく修正できているかどうかはこちらでも判断できることだし、査読者と著者のいたちごっこで変な方向に論文が修正されていくことも稀ではないので、自分がエディターの時には、二度目以降はすべてこちらで査読するようにしています。

修正不可能な致命的な欠陥がある場合はリジェクトとせざるを得ませんが、少しでも世に出す価値のある論文に関しては、できる限りアクセプトになるよう、こちらも必死に修正案を考えます。

査読者とエディターの違い

エディターになって思ったのは、査読者はずいぶんと気楽な立場だったということです。

査読者であれば、論文の中で分からないことがあっても、それは無視すればいいだけだし、支離滅裂で訳の分からない論文ならリジェクトを推薦すればいいだけのことです。

ところがエディターはそうはいきません。論文内に分からないことがあってはならないし、一見ひどい論文に見えても、その中に出版の価値のある発見があるのであれば、何とかアクセプトにもっていけるよう、改善策を提案するなどしなければなりません。

このことによって、一つの論文にかかる時間が査読だけをやっていたころに比べて膨大となり、論文内で知らない知識があれば引用されている文献を読んで勉強したり、支離滅裂の論文を忍耐強く添削したりして、気がつけば日常業務以外の時間ほぼすべてをエディター業務に費やすほどになってしまいました。

エディターになってよかったこと

エディターという立場を利用して、世界中の有名な足の外科の先生に査読依頼をメールできるようになったことが大きいですね。足の外科医なら誰でも知っている世界的に有名な先生も査読を引き受けてくださっていますが、そういった先生方のコメントには、深い造詣を垣間見ることも稀ではなく、大変勉強になっています。

また、そういう期待なしに査読をお願いした先生の中にも、やたらシステマティックレビューについて詳しい人だったり、前向き研究の手法に精通している人だったりと、思わぬところですごい人に出会い、たくさんの刺激や知見をいただいています。

年を取ってくると周りに上司がいなくなり、周りから学ぶ機会も減ってきますが、いつまでもこのような刺激や知見をもらえることはありがたいことです。

それと、勉強時間が圧倒的に多くなったこともよいことですね。ただ日常業務をこなすだけであれば、だいたい同じことの繰り返しですので、ある程度の経験があればなんとかなってしまい、やがてそれ以上努力しない生活に慣れてしまいます。

ところがエディターをやっていると、ありとあらゆる足の外科関連の論文が押し寄せてくるので、臨床経験の濃淡や好き嫌いなどといった選り好みをしてもいられず、それらすべての論文に対応しなければなりません。しかもエディターという責任ある立場ゆえ「知らない」とか「経験がない」などということで逃げることもできません。

気がつけば、受験生の時ですらこれほどまでに机に向かっていた時間はなかったというほど、休みの日でも一日中机の前に座って、文献を読んだり関連した勉強をしたりしています。

自らを律して休みの日に一日中勉強するのはとてもつらいことですが、エディターという立場であれば、ひとえに著者や科学へのボランティアでありながらかつ自分の勉強にもなっているという気楽さから、さほど苦でなく一日中そんな作業をすることができます。

この「楽して勉強できる」という立場になれたことは、エディターになって本当によかったと思えることです。そして、このように絶えず勉強し続けることこそ、真に専門家と言えるのではないかとも思えてきています。

エディターになって悪かったこと

エディター業務に圧倒的に時間を取られることで、自分の論文の時間が極端に少なくなったことですね。これはこれから少しずつどうにかしなければならないことだと思っています。

エディターになるためには

最初からエディターになりたいと思っている人などいないと思いますが、とても満足感の高い仕事です(調査によると「なってよかった」と思うエディターが7割だそうです)。

エディターになるには、まずは論文をたくさん書き、そして、査読依頼が来るようになったら、それを断らずにひたすら引き受け続けます。

するとやがてジャーナルから注目されるようになり、エディターへのお誘いを受けることとなります(ジャーナルの持つ査読者選びの機能で、ある医師がここ半年でどのくらい査読を引き受けたかを見ることができますが、これで自分を調べたところ、2位のほぼ倍の数の査読を引き受けていました)。

エディターになって思ったことですが、統計の勉強をしていたことがとても役に立っています。2018年の1年間はひたすらに統計の勉強をやり続けていましたが、思いのほか、そのときの統計の勉強が、論文執筆、査読からエディターの仕事に至るまで役に立ち続けています。医者が学術的な世界で生きていくためには統計的知識は必須です。

最後に

エディターになるまで、エディターという仕事にまったく興味がありませんでしたが、実際なってみて、これこそが自分が専門家として目指していた一つの到達点だと思うようになってきました。

ここに至るまでの道のりを振り返ると、まずは専門の手術ができるようになること、次に学会などで頻繁に発表するようになること、さらに論文をたくさん書くこと、論文数の増加に伴い依頼の増えてくる査読を大量に引き受けること、その活動が認められてエディターに就くこと、と来ており、これらは一連のもので、一足飛びにすることはできません。エディターになって初めてこのような専門家としての階段があることを理解し、期せずしてそれらをひとつひとつクリアしてきたのだと実感しました。

また、論文を取り扱う科学コミュニティの “フェア” な点も気に入っています。著者が偉い先生だろうと誰だろうと、その論文が科学的に健全でなければ、容赦なくRejectにできる世界です。そこは大学名も病院名も役職も人種も年齢も性別も関係なく、「科学」という唯一の物差しのみが意味のある世界です。そのような “フェアな” 世界で、論文の受諾/却下の判定という重要なポジションを任せてもらえたことにとても満足しています。

しかし、エディターと言ってもまだ駆け出しだし、論文もまだ道半ばです。この先に何が待っているかは分かりませんが、これまでと同様、いずれにも全精力を注ぎこんでいかなければなりません。